私、もうすぐ死にます。
今朝、こんな手紙が届いたからです。
”今夜、あなたの命を頂戴します”
私に対する殺人予告なのでしょうか。差出人の名前や、住所は書いてありません。ですが、”高宮今日子様へ”、と、確かに私の名前が書いてあります。それに、
切手がありません。私の家に直接投函したのでしょう。
イタズラなのかもしれません。嫌がらせなのかもしれません。何せ私は、美人でも、かわいくもないし、愛想もないです。特技もこれといってありません。いなくても
いい人なんです。
だから私は確信しています。私、死にます。間違いなく今日、死にます。
最後の一日、今日が私にとって最後の一日となります。こんな日くらい、何か良いことが起きないものでしょうか。
私は、街に繰り出します。服装もしっかり整えて、たくさんの人が行きかう休日の街を、一人寂しく歩きます。
街に出ると、やはりたくさんの人、カップルや家族連れ、友達同士での集まりがたくさん見られました。でも、私は一人です。
思えばこの二十五年間、私の周りに友達と呼べる存在がいたことはあったでしょうか。
小学校はまだよかったです。男女の違いもなく、明確な疎外感を感じることはありませんでした。その時は、表面上の友達なら、私なんかでも何人かはおりました。
しかし、中学、高校、その後のフリーター生活――今は思い出したくもありません。
……これは、さながら一足早い走馬灯だったのでしょうか?
「今日……ちゃん?」
気付けば私は、一軒のお店に入っていました。私にも、好きなブランドくらいあります。この街にも、そのブランドのお店があり、私はそこで購買力のない客をやっております。
よく来るお店なので、無意識のうちに入ってしまったのでしょう。
「今日ちゃんだろ?」
突然、売り物のバッグをかけてみた左肩が、ひっぱられました。大きな手が、私の肩に乗っています。そういえば、先ほどから誰かに呼ばれていた気がします。
「恭……ちゃん?」
振り向けば、私の目の前には、長身の男性が立っています。しかも顔見知り……いえ、私の高校時代のクラスメイトでした。その顔を見みると、自然とその名前が
口から出てまいりました。
「恭ちゃんなの?」
恭ちゃん。上谷恭平。
なぜ恭ちゃんが、ここにいるのでしょう。
「暇だったから一人でブラブラしてたら、たまたま店の中に今日ちゃんがいるのを見つけてさ」
私の心の呟きに、恭ちゃんが答えたかのように感じまして、驚きました。もちろん、そんなことはないようです。
「……どうしたの? なんか元気がないみたいだけど」
私と恭ちゃんは、近くにあるレストランに入りました。私は断ったのですが、恭ちゃんがどうしても私を元気付けたいと、聞かなかったのです。
「で、何があったんだ?」
恭ちゃんは、遠慮する私のかわりに、私の分まで料理を頼んでくれました。そうえいば、朝から何も食べていません。もう、お昼をとうに過ぎ、夕方が近づいています。
レストランを利用している人もまばらです。
恭ちゃんと私が出合ったきっかけは、名前です。恭平の恭、今日子の今日。どちらも”きょう”です。どちらかの名前が違っていたら、絶対に今二人でこうしている
ことなどありえません。
「何と言われても……」
ですが、今朝の手紙のことなど、話せるはずもありません。デタラメだったら恭ちゃんを無駄に困らせるだけで終わってしまいますし、本物だとしたらそれこそ
どうしようもありません。警察に言ったほうが早いです。
「んー……歯切れが悪いな。オレと今日ちゃんの仲だろ?」
……その仲を、前に崩したのは恭ちゃん、あなたです。
私は、以前恭ちゃんに恋をしておりました。初めはただ名前に同じ響きがあったから、ただそれだけで話す仲だったのですが、いつのまにか恋に変わっておりました。でも、
それは一方通行、決して反対側から入ることはできません。恭ちゃんは、すでに彼女がいたんです。なので、私に恋をする、思いを入れるということはできません。
それを思い出したとき、急に恭ちゃんの顔が見れなくなりました。
料理が、店員さんによって運ばれてきます。そこには、私の大好きなパスタがありました。恭ちゃんは私なんかの好物など知らないはずです。これは、たぶん偶然なのでしょう。
偶然ということばが私の中に現れたとき、同時に出現したものがありました。私と恭ちゃんの出会いは、いわば偶然、奇跡のようなものだったのです。名前という少しの
繋がりで出合った奇跡です。それは、悲しみということばにも置き換えられる気がいたします。
私は、無言でレストランを出てしまいました。恭ちゃんを、一人置いて。
恭ちゃんに会えて、嬉しかったです。ですが、切なくもありました。あの場にいては、私は壊れてしまいそうでした。どうせ私は、今夜何者かによって壊される。それは
分かっています。しかし、あの場で壊れてはいけないと、何かが私に言ったのです。
薄暗くなった道を、私は一人、歩きます。家に向かって、歩きます。誰かが私を殺しにくるのは分かっています。それでも行きます。
どうせ私は、一人なのだから。私が死んだところで、誰もなんとも思いません。その殺人者さんが私を殺して狂喜に浸れるなら、むしろ歓迎いたします。こんな私でも
役に立った、そう思えるのですから。
「今日……ちゃん……!」
私は一人です。
「今日ちゃん……!」
私は一人なのです。私を呼ぶ人など、いてはならないのです。
まだ微かに残る日の光が、影法師を作ります。それは長く、離れていても繋がっているようにも思えます。私の足元に、私を呼ぶ人の影が、繋がりました。
「今日ちゃん……待ってよ、オレ、伝えたいことがあるんだ……!」
その影の主は、他でもない、恭ちゃんでした。人気のない夕闇の住宅街、息を切らした長身の男性が、私の傍に立っております。
「今日ちゃん、オレ、高校のとき、伝えられなかったこと、今伝えたい」
恭ちゃんは、まだ荒い息で、私にそう訴えかけます。
あまりにも突然です。私は何もことばを発することができません。ただ、さきほどは見れなかったはずの恭ちゃんの顔を、真正面から捕えております。恭ちゃんの瞳には、
私の冴えない顔が映ります。
「オレは、オレはずっと今日ちゃんのことが好きでした」
走ります。私は、とにかく走ります。
恭ちゃんは、私に好きと言ってくれました。私なんかを、好きだと。その次のことばで、付き合ってくれ、とも言われました。彼女を作ったのは、私に嫉妬心を
抱かせるためだった、と言ってもおりました。
だから私は走ります。恭ちゃんから逃げます。
私は、今日死にます。殺されます。なので私は、恭ちゃんに、はい、ということができません。それが本心でも、です。それに私は、昔から人に愛されたことなどありません。
愛されるどころか、友情すら頂けたことはありません。そんな私は、誰かと一緒にいてはいけないのです。
気付けば、私の住むマンションの前まで辿り着いていました。私は泣いていました。頑張って抑えようとしました。ですが、無理です。こんな悲しいこと、ありません。
自分の部屋、真っ暗な私の部屋の
ベッドに寝転んでも、雫はたれ続けます。悲しみのダムは、とうに枯れていたはずです。では、これはなんなのでしょうか? 私には分かりかねます。
今日二度も逃げてしまった、恭ちゃんの顔が浮かびます。恭ちゃんは、ブランドのお店で私に声をかけたとき、笑っておりました。でもどうでしょう、私に告白したその顔は、
私のことばでは表せないほどの、不安に満ち溢れていたように思います。それなのに、その時私は言いました。
「ごめんなさい」
あれから、どれほどの時間がたったのでしょう。夕日はすでに闇に包まれ、夜が広がっています。時間は、分かりません。
「!」
音がします。ノックです。小鳥のさえずりのような優しさを感じますが、いったい何者なのでしょうか。いえ、実は分かっています、これは、私の終わりを告げに来た
人のノックなのです。
数秒の静寂が流れました。私は、どうするべきか考えましたが、しばらく黙視することにしたのです。
「!!」
小鳥は、食べられました。ノックの音は、まるで狼の遠吠えのようにも感じます。
私は、気付けば台所にある包丁を手にしていました。恐怖からでは、ありません。
私は、包丁を構えます。何が起きても動じないように、しっかりと握ります。すべってはいけませんから。
私は、包丁を振り下ろしました。自分の、心臓をめがけて。
私と赤い床の距離は、一気に縮まりました。私が倒れたのです。
……そろそろ、ドアの外の人が、中へ入ってくるでしょう。カギは閉めていませんから。そして私とその血を見たとき、彼――上谷恭平さんもまた、自分の胸を突くでしょう。
私は、自殺志願者でした。
上谷さんも、自殺志願者でした。
今日というこの一日、これは私と上谷さんとで作り上げた一日だったんです。
私は、あまり売れていない脚本家でした。確かに高校を出たあとはフリーターでしたが、様々なことがあった末、脚本家になったのです。
私の過去、小学校、中学校、そして高校での境遇に嘘はありません。ですが、上谷さんとは高校で知り合ったのではありません。高校で、私とまともに話す方などおりません
でしたから。私と上谷さんが出会ったのはごく最近、とあるドラマ現場でのことでした。ひさびさの現場で緊張する私に、声をかけてくださったのが、上谷さんでした。上谷さんは、
俳優です。
私達は、”きょう”がきっかけで、そのあと打ち解けていきました。そして、私は気付いてしまいました。彼には自殺願望がある。そして彼もまた気付いたのでしょう、私に
自殺願望があることを。
私は自殺願望が、確かにありました。ですが、一度くらいまともに恋愛をしてみたい、そんな願望も強くありました。
上谷さんも自殺願望が、確かにありました。ですが、上谷さんは探していました、一緒に自殺してくれる人を。
利害は一致しました。私が今日という日の脚本を書き、それを上谷さんと私が演じる。心の中でも演じなければなりません。それはもちろん、恋愛のお話です。
そして、ドアのノックの音は、私が死に向かう合図。私の死は、上谷さんが死に向かう合図。これは、最初から決まっておりました。
でも、二つの問題がありました。ドラマは、何ヶ月もかけて、一本の作品ができあがります。しかし、それを一日で演じとうさねばなりません。ですので、いささか急展開で、
しかも男性からの告白は失敗するというストーリーに仕上げました。告白が成功してしまっては、そのあとの展開も必要となります。それは、とてもじゃないですが、一日では
無理です。でも、私はそれで満足なのです。その恋愛は失敗で、しかも演技という虚像に過ぎません。されど、今まで人に触れることすらあまりなかった私にとって、
告白されるなど、それだけで幸福の極みだったのです。しかしながら、もう一つの問題点は、そこにあったのです。
幸福を得てしまった私は、果たして自分の命を絶つことができるのでしょうか? 答えは簡単、ノーです。でもそれでは、上谷さんに迷惑がかかります。せっかく演じて
くださったのに、結局本当の目的である自殺を果たせない。それでは、申し訳が立ちません。だから私は考えました。
”今夜、あなたの命を頂戴します”
私は、自分でこれを書き、そして自分に送りました。切手など、あるはずがありません。自分の家のポストなのですから、目の前です。これで私は自分に暗示をかけます。
今日何があろうと、今夜私は死ぬと。私にとっては、これだけで十分だったのです。このことを頭の隅に置くだけで、私は幸福と同時に、今夜終わる自分の命を
感じます。もちろん、その幸福は極みにはとうてい届かないものとなり果てるでしょう。それでもいいのです。私は今まで幸福とは無縁の女だったんですから。少しで、いいんです。
そしてそれをストーリーの軸とし、きょうのお話が完成いたしました。
ああ、私、死にました。もう、指先一つ動かせません。痛みもなくなりました。間違いなく私はもう、死にました。
上谷さんも、すでに事切れるているのでしょうか。
今日子に恭平、ふたりの”きょう”は、終わります。
きょうだったからこそ、二人は出会い、きょうだったからこそ二人は死にます。
……今日はもう、終わりました。